大阪大学
大阪大学大学院人間科学研究科 附属 未来共創センター
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人+文 哲学研究発表会

2025年12月20日(土)に開催された哲学の実験グループオープンラボ公認イベント「人+文 哲学研究発表会」は、総勢14名(発表者6名)が参加した大盛況のイベントとなった。当初、人間科学研究科と人文学研究科の交流を目指して開かれたこの研究発表会は、結果として学部生や他大学の大学院生までを巻き込んだ大規模なものとなった。各発表者の研究内容も多様であり、幅広い主題について、専門領域や出身大学の垣根を超えた対話を行う機会を提供することが出来た。
 藤山諒子(大阪大学人間科学研究科)氏の発表は、文化人類学者の松田素二および小田亮の議論を踏まえつつ、文化相対主義の限界点として立ち現れる異文化との「共役不可能性」について、理論的に探求するものであった。藤山氏はこの共役不可能性の正体を未規定な社会的状況において生じる「関係の両義性」に見出しつつ、それを〈共に〉引き受ける態度を、多文化との共生を可能にする理論的源泉として提示した。藤山氏の研究は他者との共生の困難さを見据えつつも、それを内在的に乗り越える理路を示唆した、意義深いものであった。
 葛西李成(大阪大学人間科学研究科)氏の発表は、イマニュエル・カントの『判断力批判』崇高論の読解を基礎に、カント美学と『純粋理性批判』および『実践理性批判』との接続可能性を提示するものであった。葛西氏は『純粋理性批判』超越論的感性論における無限性の議論に理性理念の潜在的な作動を読み解きつつ、理性の無限性が現前する瞬間として『判断力批判』崇高論を再解釈し、実践哲学との接続の理路を示した。葛西氏の研究は、カント批判哲学における無限性の主題の展開を描き出しつつ、『判断力批判』の再解釈を迫る意欲的なものであった。
 若松黎奈(京都大学法学研究科)氏の発表は、アメリカの政治理論家ジュディス・シュクラーの議論を踏まえつつ、現代におけるリベラリズムのあるべき姿について問うものであった。若松氏はシュクラーの一連の著作において提示される「恐怖のリベラリズム」概念に基づき、リベラルな諸価値を権威主義的に説き続けるだけの冷戦リベラリズムを批判しつつ、政治的自由の確保のための制度的・実践的介入にリベラリズムの新たな役割を見出した。若松氏の研究は、リベラルな諸価値がその政治的有効性を失いつつあるように思える昨今の国際的な状況を、政治理論の視点から問い直すアクチュアルなものであった。
 高橋菜穂氏(大阪大学人間科学研究科)の発表は、現代物理学の知見によってその立ち位置が揺らいでいる「因果性」の概念について、エルンスト・カッシーラーの議論を参照しつつ再定義を行うものであった。高橋氏によれば量子論における不確定性原理は、因果性と連続性を結びつけて捉えていた古典力学の前提を全面的に問い直すものであり、時間的連鎖ではなく構造的対応関係に結びついた新たな因果性概念を要請する。高橋氏の研究はカッシーラーの議論を現代の量子力学の哲学の文脈で読み解くと同時に、近代認識論の全般的な書き換えの可能性までも視野に入れた重要なものであった。
 萩原一馬氏(大阪大学人文学研究科)の発表は、ハンナ・アーレントの人権論の鍵概念である〈諸権利を持つ権利〉を保証するものとして、これまでの研究では見過ごされてきたアーレントの連邦論に光を当てるものであった。萩原氏はアーレントの著作の丹念な読解に基づきつつ、国家の領域を超えた人類規模での合意に基づく国際法の領域に、〈諸権利を持つ権利〉の具体的保証を見出す。萩原氏の研究はアーレント解釈に新たに法哲学的展開をもたらす斬新なものであるだけでなく、諸国家を超えた共同体の形成というますます切実となりつつある政治的課題への理論的示唆を与えるものでもあった。
 山本泰地氏(大阪大学人間科学部)の発表は、ジュディス・バトラーの読解に基づきつつキャロル・ギリガンらの「ケアの倫理」を批判するものであった。山本氏はバトラーの立場から、ケアする者/ケアされる者あるいは女/男という固定的なアイデンティティを形成してしまう危うさを含んだギリガンらの議論を批判しつつ、絶えざる異議申し立てと主体の脱構築の契機を内包した倫理的・政治的主体の理論的可能性を示した。山本氏の研究は「ケアの倫理」が人口に膾炙して久しい現代の言論空間に対し、その批判的乗り越えと新たな可能性を突きつける、野心的かつ説得的なものであった。

 

第28回ジジェク研究会

日時:2025年11月15日(土) 13:30〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:11名

1. ジジェク研究会:”ポスト/ヘーゲル主義者としてのジジェク
――Less Than Nothing におけるヘーゲル的反復とその限界”【発表者|飯泉佑介】
2. ジジェク研究会:”移民・トラウマ・ケア——ジジェク主体論と日本に暮らすミャンマー人たちの生の交錯(Migration, Trauma, and Care: The Intersection of Žižek’s Theory of the Subject and the Lives of Myanmar Migrants in Japan)”【発表者|吉田尚史】
 第87回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
 第一発表の飯泉発表では、スラヴォイ・ジジェクがヘーゲル解釈の中でしばしば論じる「ヘーゲル的反復」が検討された。
 ジジェクは博士論文『もっとも崇高なヒステリー者』以来、繰り返しヘーゲルにおける「反復」を問題としてきた。すなわち「遡行的遂行性」とジジェクが呼ぶヘーゲルの論理において、未来はそれが訪れたあとで、事後的に再構成されるものである。
ジジェクはこうしたヘーゲルの論理のうちに、時間が常に偶然性に開かれたものであるという「純粋反復」のアイデアが前提されていると指摘する。ただしジジェクによれば、ヘーゲルは「純粋反復」を十分に論じるには至らなかった。そこでジジェクはヘーゲルの「限界」を指摘することになるのだが、飯泉はこれに対してジジェクのいう「純粋反復」の契機をヘーゲルのうちに見出すことは可能であると指摘し、それにも関わらずジジェクがこのような主張をおこなう理由を分析した。
 飯泉の発表は、ジジェクにおけるヘーゲル解釈という根本的な課題を「反復」という主題に即して検討しつつ、ジジェクが指摘するヘーゲルの限界に反対することで、ヘーゲル哲学の現代的意義をも主張するものであった。
 質疑応答では、飯泉が必ずしも主題的に扱わなかったジジェクのラカン解釈やドゥルーズ解釈にも触れられ、議論の更なる展開の可能性が探られた。
 第二発表の吉田発表は、ジジェクにおける主体論を援用し、ミャンマーから日本を訪れる移民・難民の主体性について考察するものであった。
 ジジェクは論文「デカルトとポストトラウマ的主体」において、現代社会が主体の象徴的な安定性を揺るがす「外傷的社会」であることを指摘する。こうした社会において、主体は自身の欠如や不完全さに直面しつつ、自分自身を再構成することによって生きていくほかない。
 吉田はこうしたジジェクの議論を踏まえつつ、ミャンマーからの移民の主体化という事例を取り上げ、また、ケア論における主体編成の議論を参照することで、ジジェクが論じた主体の再構成を、より具体的に、かつ、他者との具体的な関係のなかで展開されるものとして分析した。
 吉田の議論は、一見抽象的に思われるジジェクの議論の有効性を、経験的な事例の分析によって示すと同時に、ケア論という、他者との関係を論じる理論にジジェクの主体論を接続するという点において、希少な試みであったと言える。
 質疑応答では、精神分析の研究との比較が検討されたほか、カトリーヌ・マラブーとジジェクの主体性をめぐる立場の違いが紹介されるなど、多分野からのコメント・質問がなされた。
 詳細な議論の内容に関しては、添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
 研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

第27回ジジェク研究会

日時:2025年10月18日(土) 13:30〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:13名

1. ジジェク研究会:”フェティッシュから異物へ ジジェクにおける対象aの地位の変遷”
【発表者|片岡一竹】
2. ジジェク研究会:”革命か和解か?——ジジェクにおける否定性と無限判断の行方(仮)
Revolution or Reconciliation? The Fate of Negativity and Infinite Judgment in Žižek (tentative)”
【発表者|野尻英一】

 第27回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
 第一発表の片岡発表では、スラヴォイ・ジジェクが用いる「対象a」概念の変遷が検討された。「対象a」は、もともと精神分析家のジャック・ラカンが用いた概念であるが、ジジェクはこれを独自の仕方で受容し、自分の議論に取り込んでいる。
 まず、(50年代の)ラカンに関する基本的な見方によれば、対象aとは、ファルスの欠如を想像的な仕方で示す対象である。対象aは不在の対象として定義されるが、対象aが不在であることは、人間主体が有する根本的な欠如がそこにおいて示されていることを表している。それゆえラカンとジジェクにおいて、対象aは、その空虚さが暴かれることによって主体の真理が明らかにされるフェティッシュとして位置づけられる。
 ただし60年代においてラカンはこうした欠如を示すものとしての対象aという定義から離れ、むしろ欲望の原因として、ファルスから独立した位置づけを与えられるようになる。こうした定義にあっては、対象aは単に乗り越えられるべき障害ではなく、むしろそれを求めることが主体に秩序の転覆をもたらすものとして位置づけられる。ジジェクは対象aのこうした側面もラカンから受容し、対象aを求める主体に政治的革命の可能性を見出している。
  片岡の発表は、ラカン研究の立場から対象a概念の整理をおこなったうえで、ジジェクがそこからどのような政治的含意を引きだしているかということを示すものであった。論の運びは明晰であり、質疑応答でも片岡発表を踏まえたうえでの発展的な議論が交わされた。
 第二発表の野尻発表は、主に『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』におけるジジェク・バトラー・ラクラウの論争を踏まえたうえでジジェクの肯定的な側面を評価し、現実の政治・倫理的課題に対してジジェク哲学が持ちうる点を主張するというものであった。
 野尻によれば、ジジェク・バトラー・ラクラウの三者において問題となっているのは「歴史性」の問題である。一方でマルクス主義の単純な唯物史観を退けつつ、他方で単なる歴史に対する不可知論を回避するために、三者は主にヘーゲル哲学を出発点としつつ、論争を展開している。
 そのなかでジジェクは、バトラーやラクラウが主張する、永続的なヘゲモニー闘争および脱構築を続けるという「カント主義」を批判し、「汚染された普遍性」というアイデアを導入することで、ヘゲモニー闘争という枠組みそのものを規定するものとして階級闘争を位置づけようとする。
 野尻はこうしたジジェクの「歴史化」のこころみを評価する一方で、ジジェクが主にラカンの「現実界」概念に依拠するために、表象や想像力の役割を十分に考察していないことを批判する。そこで野尻はスピヴァクの植民地主義についての考察などを参照しつつジジェクの議論を修正し、より説得的な歴史理論を提案することを試みた。
 野尻の発表は、「弁証法的唯物論者」を自認するジジェクの唯物論(歴史哲学)としての立場を積極的に評価したうえでその限界と課題を指摘するものであった。質疑では、ジジェクの立場にかんするより踏み込んだ議論がなされ、歴史と享楽の関係の考察の必要性が指摘された。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
 研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

現代思想研究会 2025年5月-2025年11月 活動報告

 

活動日|2025年5月30日、6月30日、7月21日、8月24日、9月29日
文責|客本敦成(比較文明学)

 2025年5月から11月にかけて、下記の活動をおこなった。なお、活動内容はすべて研究発表である。また、10月および11月も活動予定であったが、発表者および主催者の都合により中止となった。

 5月30日には、片倉悠輔氏による発表をおこなった。ヘーゲル『精神現象学』の後半を主な分析対象とし、『精神現象学』の叙述のうちに資本主義社会の生成の論理を読み取ろうと試みるものであった。質疑応答では、マルクスおよびフーコーの歴史叙述とヘーゲルの叙述の違いが議論され、ヘーゲルにおいて構想力の役割が大きいことが指摘された。

 6月30日には、林宮玉氏および板野史紀氏による発表をおこなった。林氏の発表は、20世紀フランス思想におけるサド論の系譜を検討するものであった。特にモーリス・ブランショによる死の欲動概念の導入が重要な役割をもつことが指摘された。質疑応答では、精神分析における欲動概念と、文学批評における欲動概念の異同が議論された。
 板野氏の発表は、アンリ・ベルクソンにおける「良識」概念の理論的ポテンシャルを引きだそうとするものであった。板野氏はベルクソンのドン・キホーテへの言及に注目し、一見するとドン・キホーテには「良識」が欠けているように思われるものの、ベルクソンの記述は必ずしもドン・キホーテのうちにある「良識」を認めないとは限らない、という解釈を示すことを試みた。質疑応答では、ベルクソンの理論的意義と限界をどのように考えるかという観点から議論がなされ、板野氏の解釈の意義が改めて確認された。

 7月21日は、毎床玲音氏による発表をおこなった。ただし、内容は公開に適さないものが多く、詳細の報告は省略する。文学研究の立場から、他者との共生の可能性を模索する、理論的な試みであった。

 8月24日には、雪丸温翔氏と葛西李成氏による発表をおこなった。雪丸氏の発表は、アシル・ムベンベにおける「鏡」の形象を扱うものであった。ムベンベは「鏡」という形象を、精神分析家ジャック・ラカンの鏡像段階論から引き出しつつも、独自の意味を与え、植民地主義の批判的分析における理論的装置とした。質疑応答では、スラヴォイ・ジジェクなどラカン派の理論家とムベンベの距離の近さが指摘された。
 葛西氏の発表は、イマニュエル・カントにおけるブルーメンバッハ受容を検討するものであった。カントは『判断力批判』において非有機的なものと有機的なものをはっきり区別しているように思われるが、同時に両者を包括するような自然哲学をも議論していた。こうした立論にあって、ブルーメンバッハの「形成衝動」概念が重要な役割を果たしている、というのが葛西氏の主張であった。質疑応答では、カントの体系全体と葛西氏の解釈の関係が議論された。

 9月29日には、客本による発表をおこなった。ジャン・イポリットによるヘーゲル解釈を軸とし、ヘーゲルとラカンの比較をおこなうものであった。ラカンはヘーゲルとかなり近い思想家であると言えるが、「欲動」概念はむしろヘーゲルから離れる側面を有している、という主張がなされた。質疑応答では、イポリットのヘーゲル解釈を参照することの妥当性について議論され、ジジェクのヘーゲル解釈を参照するべきではないか、という指摘もなされた。

第26回ジジェク研究会

日時:2025年9月20日(土) 13:00〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:15名
 プログラム:
1. 研究発表:”For Whom the Horn Blows? –‘Fantasy’ in Žižek and Pynchon
(誰がために喇叭は鳴る──ジジェクとピンチョンにおける「幻想」を巡って)”
【発表者|吉松覚】
2. 研究発表:”Surplus and Subject: Zizek’s Critique of Karatani in light of The Capital.
(剰余と主体:『資本論』とジジェクの柄谷批判 )”【発表者|高橋若木】

 第26回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
 第一発表の吉松発表では、トマス・ピンチョンの作品『競売ナンバー49の叫び』を、ジジェク的な問題意識から分析することで、同作品の倫理的・政治的意義を明らかにすることが試みられた。ジジェクは精神分析の幻想論の観点から、陰謀論者を単なる誤った認識を持つ者ではなく、人間精神の基礎的な要件である「幻想」をもった者として分析する。
 これに対して(吉松が解釈する)ピンチョンの小説において、主人公のエディパは、一方でこうした「幻想」に似た想定を有しつつも、それを所与のもの、不変のものとはせず、パラノイアックな探究を続けた。吉松はこうしたエディパの筆致をジジェクが論じる「幻想の横断」と比すことで、真理の探究を止めないことの倫理的・政治的意義を指摘した。
  吉松の発表は、ジジェクの枠組みを参照しつつも、それを絶対化せずにピンチョンの作品を精緻に分析することを通じて、ピンチョンの作品が有する現代的意義を引きだすものであった。
 第二発表の高橋発表は、ジジェクの思想における柄谷行人からの影響を主題とし、ジジェクの政治経済学の変遷を明らかにするものであった。高橋によれば、ジジェクは『イデオロギーの崇高な対象』(1989)以降、しばしばマルクス経済学における剰余価値論の解釈をおこない、独自の政治経済学を構想している。しかし21世紀に論じられたジジェクの政治経済学においては、日本の思想家・批評家である柄谷からの影響がみられる。高橋は柄谷の著書とジジェクの著書を比較分析し、両者の異同を明らかにすることを試みた。
 高橋の発表は、ジジェクと柄谷の関係を歴史的に跡づけると同時に、両者の理論的意義と限界を積極的に主張するものでもあった。
 議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
 研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

第26回ジジェク研究会

日時:2025年9月20日(土) 13:00〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:15名
 プログラム:
1. 研究発表:”For Whom the Horn Blows? –‘Fantasy’ in Žižek and Pynchon
(誰がために喇叭は鳴る──ジジェクとピンチョンにおける「幻想」を巡って)”
【発表者|吉松覚】
2. 研究発表:”Surplus and Subject: Zizek’s Critique of Karatani in light of The Capital.
(剰余と主体:『資本論』とジジェクの柄谷批判 )”【発表者|高橋若木】

 第26回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
 第一発表の吉松発表では、トマス・ピンチョンの作品『競売ナンバー49の叫び』を、ジジェク的な問題意識から分析することで、同作品の倫理的・政治的意義を明らかにすることが試みられた。ジジェクは精神分析の幻想論の観点から、陰謀論者を単なる誤った認識を持つ者ではなく、人間精神の基礎的な要件である「幻想」をもった者として分析する。
 これに対して(吉松が解釈する)ピンチョンの小説において、主人公のエディパは、一方でこうした「幻想」に似た想定を有しつつも、それを所与のもの、不変のものとはせず、パラノイアックな探究を続けた。吉松はこうしたエディパの筆致をジジェクが論じる「幻想の横断」と比すことで、真理の探究を止めないことの倫理的・政治的意義を指摘した。
  吉松の発表は、ジジェクの枠組みを参照しつつも、それを絶対化せずにピンチョンの作品を精緻に分析することを通じて、ピンチョンの作品が有する現代的意義を引きだすものであった。
 第二発表の高橋発表は、ジジェクの思想における柄谷行人からの影響を主題とし、ジジェクの政治経済学の変遷を明らかにするものであった。高橋によれば、ジジェクは『イデオロギーの崇高な対象』(1989)以降、しばしばマルクス経済学における剰余価値論の解釈をおこない、独自の政治経済学を構想している。しかし21世紀に論じられたジジェクの政治経済学においては、日本の思想家・批評家である柄谷からの影響がみられる。高橋は柄谷の著書とジジェクの著書を比較分析し、両者の異同を明らかにすることを試みた。
 高橋の発表は、ジジェクと柄谷の関係を歴史的に跡づけると同時に、両者の理論的意義と限界を積極的に主張するものでもあった。
 議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
 研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

共生の人間学セミナー・生活の思想研究会「花森安治の暮しの思想と商品テスト」


文責:織田和明(情報科学研究科 特任助教)
活動日:2025 年 9 月 11 日(木)
場所:大阪大学産学共創 C 棟 4 階セミナー室 1+オンライン
登壇者:
西川 晃弘(大阪大学)
共催:
大阪大学大学院人間科学研究科 共生学系 コミュニティ学講座 福祉と人間学分野
大阪大学大学院人間科学研究科附属未来共創センター IMPACT オープンプロジェクト 哲
学の実験オープンラボ
生活の思想研究会
イベント参加人数:会場 4 人、オンライン 2 人
2025 年 9 月 11 日(木)に、阪大学産学共創 C 棟 4 階セミナー室 1 とオンラインで、
共生の人間学セミナー・生活の思想研究会「花森安治の暮しの思想と商品テスト」を開催
しました。登壇者の西川晃弘さんは科学技術と社会の関係に注目して生活総合雑誌『暮し
の手帖』の初代編集長を務めた花森安治の思想を研究しています。大政翼賛会宣伝部に勤
務し、戦意高揚のための広告を作成した花森でしたが、戦後は人々の暮しのための雑誌を
出版し、戦争を防ぐことを主張し続けます。商品テスト等を通じて人間を軽視するものを
批判し、常に人々の暮しとともにある花森の実践は戦後日本に大きな足跡を残しました。
西川さんの非常に充実した研究発表とディスカッションを通じて生活の思想について大い
に思索を深める充実したセミナーとなりました。西川さんの今後の活躍にご期待くださ
い!

第25回ジジェク研究会

日時:2025年8月16日(土) 13:30〜17:00
 場所:Zoom(オンライン)
 参加人数:13名
 プログラム:
1. ジジェク研究会:”スラヴォイ・ジジェクと西田幾多郎のミッシング・リンク ――欲動論的転回をめぐって”【発表者|眞田航】
2. ジジェク研究会:”いかにしてジジェクはデリダを擁護するか”【発表者|小川歩人】

第25回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
第一発表の眞田発表では、ジジェクと日本の哲学者・西田幾多郎の二者における思想の変化をそれぞれ比較することで、両者の異同が検討された。眞田によれば、両者はいずれも思想上の〈転回〉と呼ばれるものを経ているが、その論理には一定の同型性が認められる。ただし両者の政治的態度は大きく異なっているため、ジジェクと西田の思想の分化がどこに認められるかが重要な研究課題となる。
質疑応答では、ジジェクと西田におけるヘーゲルやシェリングといったドイツ観念論の解釈の異同が注目され、時代や国が大きく異なる両者を比較研究することの重要性が確認された。
第二発表の小川発表では、ジジェクにおけるデリダ評価を分析対象とし、一見すると対照的に思われる両者の複雑な関係が整理・分析された。ジジェクはしばしばデリダに抗してラカンやヘーゲルの立場を打ち出しているようにみえるが、実際のところその関係は曖昧である。特に『絵画における真理』における額縁論は、それが換骨奪胎されてヘーゲル的な「対立的規定」概念解釈に用いられていると理解でき、ジジェクは相当程度デリダを意識して議論を組み立てていたと推測できる。
結論部では、近年のデリダ研究の動向も言及されつつ、デリダとジジェクの関係が、デリダ研究にもかかわるような多くの論点を提起しうるものであることが示された。
議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

第24回ジジェク研究会

日時:2025年7月19日(土) 13:00〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:17名
プログラム:
1. ジジェク研究会:”愛とおぞましいものの共同体──ジジェクにおける〈母〉の抑圧と女性の式”【発表者|佐藤愛】
2. ジジェク研究会:”見えないものを見る主体 東浩紀によるジジェク受容について”【発表者|客本敦成】

第24回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
第一発表の佐藤発表では、ジジェクのキリスト論を対象とし、ジジェクがラカン的な意味での「女性」としてキリストを位置づけていることが指摘された。佐藤は、ジジェクにおけるラカンの性別化の式の解釈において、フランスの思想家ジュリア・クリステヴァの「アブジェクト」概念からの影響がみられると指摘し、ジジェクのキリスト論が〈失われた対象との同一化〉を巡るものであると主張した。
佐藤の発表は、これまで十分に顧みられなかったジジェクとクリステヴァの関係を明らかにするものであると同時に、クリステヴァを援用することで、ジジェクにおける男性性と女性性の関係の曖昧さを批判的に捉え直すものでもあるといえる。
第二発表の客本発表では、1990年代におけるジジェクのサイバースペース論を対象とし、ジジェクのサイバースペース論が日本の批評家の東浩紀のサイバースペース論に積極的な影響を与えていることを指摘した。ジジェクと東は、いわゆる「ポストモダン」的な歴史状況を認識しつつも、単に複数に分裂する主体ではない主体像を提示するという点で、共通点があった。
客本の発表は、日本におけるジジェク受容の一端を示すものであったほか、質疑応答では、ジジェクのサイバースペース論の独自性を理解するうえでも1990年代の論考は重要であるという指摘もなされた。
議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

第23回ジジェク研究会

日時:2025年6月21日(土) 13:00〜17:00
 場所:Zoom(オンライン)
 参加人数:18名
プログラム:
1. ジジェク研究会:”コジェーヴの「ヘーゲルとフロイト」からセミネール第14巻、第15巻へ”【発表者|信友建志】
2. ジジェク研究会:”日本的国民主義のイデオロギーの図化の試み”【発表者|ドリンシェク・サショ】

 6月のジジェク研究会では、研究発表を二件行った。
第一発表の信友発表では、近年公表されたコジェーヴのデカルト論を分析対象とし、コジェーヴのデカルト解釈とラカンのデカルト解釈の比較を行うことで、セミネール14巻および15巻におけるラカンの議論の内にコジェーヴの影響があることが指摘された。
信友は、コジェーヴがヘーゲルに言及しつつ〈哲学者の欲望〉という概念を提示していることに注目し、哲学者の欲望における〈存在のディスクール〉と〈思惟のディスクール〉の交錯が哲学を駆動しているというコジェーヴの議論が、ラカンのディスクール論における分析家の欲望に先行し影響を与えた議論として位置づけられると主張した。
議論では、コジェーヴのヘーゲル解釈としての妥当性や独自性にも言及されつつ、ラカンとヘーゲルのミッシング・リンクを議論するためにはコジェーヴの位置づけが重要であることが、改めて確認された。
第二発表のドリンシェク発表では、ジジェクの〈盗まれた享楽〉概念が援用され、日本文化がイデオロギーとして分析されうることが示された。
ドリンシェクは、「日本文化」が実体のない曖昧な概念である一方で、「日本文化論」という名前において展開される議論において、しばしば日本という国家の統一性を説明するための概念として用いられることを指摘した。ドリンシェクによれば、こうした統一性は、共同体の内に絶対的に存在する矛盾や対立を隠すことによって成立する。そのうえ、そうした矛盾を明らかにしようとする存在は恐怖の対象として排除されることになる。
結論においては、こうした構造は権力機構による享楽の統制によってもたらされるため、より開放的なしかたで享楽を考えることが、現在の課題を解決するうえで重要であると述べられた。
議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」研究代表者・野尻英一
文責|客本敦成(比較文明学)