大阪大学
大阪大学大学院人間科学研究科 附属 未来共創センター
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「科学哲学における因果性」研究会、1月報告

文責|中塚海渡(科学哲学・分析哲学研究室)

活動日|1月14日、1月21日、1月28日

参加者|4名

 1月の活動では、ダグラス・クタッチによる「現代哲学のキーコンセプト・因果性」の第3章「プロセスとメカニズム」の輪読を、参加者で行った。

 1月14日は、因果プロセス説の起源である因果性の伝達説の箇所を輪読した。伝達説において、因果性の向きが生じているのか、という点を引用箇所から検討した。また物理学を仮定している点で、日常的な直観とは異なっているという点も確認した。

 1月21日は、伝達説の発展させる形で提唱された因果プロセス説の箇所を輪読し、検討した。因果性とは、基本的に原因と結果の関係であるが、因果プロセス説の定義に原因と結果が明示されていなかったため、因果プロセス説において原因と結果がどのように捉えられるかを検討した。

 1月28日は、因果プロセス説の利点や問題点の箇所を輪読し、検討した。1月のこれまでの活動で、検討した箇所が筆者も問題と考えていることを確認した。

2月は、3章の残りの節で紹介されている因果メカニズム説、4章の反事実的依存性を輪読及び検討していく。

第18回ジジェク研究会

日時:2024年12月21日(土) 13:30〜17:30
場所:zoomミーティング
参加人数:15名
プログラム

  1. データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chapter8: Lacan as a Reader of Hegel, Lacanian Prosopopoeia 節,¶11-12(pp.515-517) 
  2. ジジェク研究会:佐藤愛「愛とおぞましいものの共同体──ジジェクの無神論的フェミニズム」

概要報告
今月はジジェクのテキストに評注をするデータベース・ミーティングと、International Journal of Žižek Studies誌論文投稿にむけての研究発表がなされた。

前半のデータベース・ミーティングでは、信友建志氏(鹿児島大学)を中心に、ジジェクのサイバースペース論やそれに伴って「仮面」が隠すもの、またジジェクが「右翼的逸脱」、「左翼的逸脱」と呼ぶものの内実についてコメント・議論がなされた。
後半の研究発表では、佐藤愛氏(青山大学)による発表がなされた。Less Than Nothing第2章を読み解くことで、一般にあまり指摘されないクリステヴァからジジェクへの影響を指摘しつつ、「おぞましいもの」(クリステヴァ)を、ラカンの言う「非‐全体」、「女性」、ジジェクにおける「無以下の無」へと位置付けていく発表であった。

議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

文責:丸山由晴(比較文明学)

第17回ジジェク研究会

日時:2024年11月17日(土) 13:30〜17:15
場所:zoomミーティング
参加人数:14名
プログラム
1.データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chapter8, Lacanian Prosopopoeia節,¶8-10(pp.513-515)
2.ジジェク研究会:池松辰男「〈世界の闇夜〉とヘーゲル的主体性—ジジェクにおける主体と実践の思想」

概要報告
前半のデータベース・ミーティングでは、当該箇所でジジェクが述べる「アイロニー」のヘーゲル弁証法における核心であること妥当性や一般的な「小文字の他者」理解からすると奇妙に思われる「小文字の他者」としての分析家という位置づけのラカンにおける典拠について議論がされた。
後半のIJZSに向けての研究発表では、池松辰男氏(島根大学)による発表がなされた。
ジジェクが初期のヘーゲルにある「世界の闇夜」という概念を実践理論の核心に据えていることを、Less Than Nothingとヘーゲルに即して論じる発表であった。人間主体は一方で世界に先行する世界の形式であり、他方で客観として世界の一部であるというある種矛盾した在り方で、それを可能にするプロセスとしての否定的なもの(世界の闇夜)とその補完としての習慣という、狂気と習慣の両輪性が論じられた。

文責:丸山由晴(比較文明学)

第16回ジジェク研究会

日時:2024年10月19日(土) 13:30〜17:30
場所:zoomミーティング
参加人数:17名
プログラム
1.ジジェク研究会a:飯泉佑介「今日、ヘーゲル主義者であることはいかにして可能か――ヘーゲルを歴史的に反復するジジェク」
2.ジジェク研究会b:吉松覚「アンドレ・グリーンとジジェクの接近するポイントに向けて」

    概要報告
    今月は飯泉佑介氏(福岡大学)と吉松覚氏(帝京大学)2名の発表がなされた。
    飯泉氏は、ジジェクがLess Than Nothingで展開する(ヘーゲル以後になす)「ヘーゲルの歴史的反復」について、同書以前での「反復」論を踏まえつつ論じた。ジジェクはヘーゲル的反復では捉えられないものとしての「純粋反復」をラカンが捉えているとするものの、絶対的否定性が純粋反復であるなら、ある種の位置づけがヘーゲルにおいてすでになされている可能性に言及するなど飯泉氏独自の見解まで示された。
    吉松氏は、ラカンの下で修業したエジプト出身の精神分析家アンドレ・グリーンの『否定的なものの労苦』を介して、ヘーゲルと精神分析、ジジェクの関係について論じた。グリーンは同書の「ヘーゲルとフロイト」章で両者の比較を行い、交差を認めるものの、後年にはヘーゲルから離れていく。現代のラカン派ジジェクにまでつながり得る、「否定」をめぐるヘーゲルと精神分析の距離がある種の軸となるものであった。

    議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

    文責:丸山由晴(比較文明学)

    第15回ジジェク研究会

    日時:2024年9月16日(土) 13:30〜17:30
    場所:zoomミーティング
    参加人数:9名
    プログラム
    データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chap.4: Is It Still Possible to Be a Hegelian Today?よりStruggle and Reconciliation節(¶12-17/pp.199-)

    概要報告
    今月のデータベース・ミーティングでは、上記箇所にてジジェクの記述の典拠や対立の「和解」についてのジジェクの立場が初期とLess Than Nothingで変化したのかなどが議論された。

    議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

    文責:丸山由晴(比較文明学)

    第14回ジジェク研究会

    日時:2024年8月16日(金) 13:30〜17:15
    場所:zoomミーティング
    参加人数:17名
    プログラム
    1.データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chap.8: Lacan as a Reader of Hegelより冒頭およびThe Cunning of Reason節(¶1-4/pp.507-511)
    2.ジジェク研究会:原和之「ラカンの想定論理、あるいは何においてジジェクのラカン主義を認めるか」

      概要報告
      データベース・ミーティングでは先月と同じ範囲を改めて取り組んだ。主なコメントについては添付資料を参照のこと。
      IJZSに向けての研究発表では、原和之氏(東京大学)から発表がなされた。
      ジジェクはラカン主義の立場からヘーゲルを読解していると言われる。その際にジジェクが依拠するのがドイツのヘーゲル研究者ディーター・ヘンリッヒ、そしてヘンリッヒが強調するヘーゲルの「反省論理」である。原氏は『もっとも崇高なヒステリー者』、『イデオロギーの崇高な対象』の初期ジジェクを軸に据え、ジジェクが依拠する「反省論理」と1950年代ラカンにみられる「想像的ファルスの全体」を想定する「想定論理」との照応を探り、その点にラカン主義者としてのジジェクを見定める。ジジェクを介しつつ、原氏なりにヘーゲルとラカン、哲学と精神分析の照応を図る発表であった。

      議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

      文責:丸山由晴(比較文明学)

      第13回ジジェク研究会

      日時:2024年7月20日(土) 13:30〜17:30
      場所:zoomミーティング
      参加人数:18名

      プログラム
      1.データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chap.8: Lacan as a Reader of Hegelより冒頭およびThe Cunning of Reason節(¶1-3/pp.507-511)
      2.ジジェク研究会a:高橋一行「less than nothingの概念をヘーゲル論理学に探る」
      3.ジジェク研究会b:信友建志「ラカンの「資本主義のディスクール」再構成の試み」

      概要報告
      IJZSに向けての研究発表では、高橋一行氏(明治大学名誉教授)、信友建志氏(鹿児島大学)による発表がなされた。
      高橋氏からは、ヘーゲル「論理学」の冒頭の議論から、ジジェクが提示する「無以下の無」概念をヘーゲル「論理学」にも探る議論が、ヘーゲル研究史における「無」の取り扱いを参照しながら展開された。
      信友氏からは、ラカンの「資本主義のディスクール」概念について、その発生経緯と研究史をめぐる発表がなされた。

      議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

      文責:丸山由晴(比較文明学)

      マイクロアグレッション関連文献読書会 2024年10月活動報告

      文責|客本敦成(比較文明学研究室)
      活動日|10月21日
      参加者|5名

       10月の活動では、赤木優希氏による研究発表をおこなった。赤木氏の発表はジャン・ポール・サルトルの「憎悪」概念に注目し、マイクロアグレッションにおける非意識的な敵意を分析するものであった。
       マイクロアグレッション研究において、マイクロアグレッションの「加害者」(この表現の妥当性もしばしば議論になる)が害意や敵意を有しているかどうか、有しているとしてどのように有しているかどうかは、難しい問題として議論されてきた。
       赤木氏はこれに対して、人間関係を複数の自己意識間の「眼差し」の問題として分析し、マイクロアグレッションを発生させる敵意を、サルトルが唱える意味での「憎悪」として位置づけた。
       議論のなかでは、マイクロアグレッションにおいてよくみられる、眼差しを向ける者と向けられる者の間での非対称性をどのように理解すればよいのかについての議論がなされた。またこれと関連して、眼差す者の透明化にかんする、フランツ・ファノンの理論の紹介もなされた。
       11月の活動では、土屋友衣子氏の研究発表をおこなう予定である。

      「ラカンと現代社会」研究会 9月活動報告

      文責:客本敦成(社会学系・比較文明学)

      活動日|9月5、12、19、26日
      参加人数|いずれも6名

      9月の研究会では、予定を変更し、ラカンの論文「〈わたし〉の機能を形成するものとしての鏡像段階」を読みました。ラカンが1940年代に発表した論文であり、これまでわれわれが読んできた64年のセミネール『精神分析の四基本概念』とは時代的な開きがありますが、実存主義をはじめとする「意識の哲学」への批判やカイヨワの著作への言及など、扱われるトピックの重なりがいくつもあり、ラカンの思考の連続性を確認することができました。
      10月からは『精神分析の四基本概念』に戻り、第Ⅷ講を読みはじめます。

      マイクロアグレッション関連文献読書会 2024年9月活動報告

      文責|客本敦成(比較文明学研究室)
      活動日|9月17日
      参加者|5名

       9月は読書会活動(17日)のほか、先月予告した学会発表(23日)をおこなった。学会発表は本プロジェクトの活動の成果を発表するもののひとつであるため、読書会活動の報告と合わせて報告する。

       まず、9月17日には、奥村晴奈、土屋友衣子、客本敦成が、それぞれ研究発表をおこなった。
       奥村は、アーヴィング・ゴフマンのスティグマ理論の観点から、マイクロアグレッション現象を相互行為のプロセスのなかに位置づける発表をおこなった。特にマイクロアグレッションの見過ごされやすさという問題について、マイクロアグレッションは、スティグマとして示された社会的属性をスティグマ者がスティグマであると言及しないことで見過ごされると言えるのではないか、という主張がなされた。
       土屋は、学校教育において発生するマイクロアグレッションについて、ミクロ・ポリティクスという観点から分析をおこなった。土屋は、生徒が「授業のなかでマイクロアグレッションが発生していた」ということを教師に主張することができるに至るプロセスに注目することで、マイクロアグレッションがどのような段階を経て解決されるべき問題として顕在化するかを分析した。
       客本は、ジュディス・バトラーの承認論の観点から、マイクロアグレッション現象における害の「ちょっとした」という性格をマイクロアグレッション現象発生のプロセスのなかに位置づける発表をおこなった。特に事象の承認において重要な作用を働かせる「引用」の機能に注目することで、マイクロアグレッション現象において感情の表出が重要な意味をもつことを指摘した。そして感情が表出されるに至る過程を明らかにする際に害の「ちょっとした」という性格が影響を与えると主張した。

       次に、9月23日の学会発表について報告する。本プロジェクトのメンバー4名(岸田月穂、奥村、土屋、客本)で、兵庫県神戸市で開催された「カルチュラル・タイフーン2024」にて、「マイクロアグレッションの分野横断的考察 理論研究と事例研究の観点から」と題した共同研究発表をおこなった。各報告の概要は以下の通りである。
       第一報告の客本は「蓄積された過去としての「ちょっとした侮辱」―ジュディス・バトラーの哲学からマイクロアグレッション現象を考察する―」という発表をおこなった。近年哲学分野においてマイクロアグレッション研究が盛んになる一方で、マイクロアグレッションの「ちょっとした」という性格が重視されなくなっていることを指摘し、ジュディス・バトラーの承認論を介して先行研究とは別のアプローチを提案した。
       第二報告の奥村は「マイクロアグレッションを解体する:日常的相互行為とスティグマの観点から」という発表をおこなった。奥村は(上述のように)スティグマ論の立場からマイクロアグレッション現象の分析をおこなうことで、マイクロアグレッションの分類についての再考察を行った。また再考察を通じて、〈人間が相互行為を維持しようとする〉という観点から、マイクロアグレッション現象が見過ごされてしまうことの理由を説明した。
       第三報告の岸田は「SNS上のトランスジェンダーに対するマイクロアグレッションと連帯の構造」という発表をおこなった。岸田は動画配信者A(仮名)の動画とそこに寄せられた視聴者のコメントを分析することをつうじて、インターネット上でなされるマイクロアグレッションが発生することと、マイクロアグレッションに抵抗するかたちで配信者と視聴者のコミュニティが形成されることを指摘した。
       第四報告者の土屋は「外国にルーツをもつ高校生が経験するマイクロアグレッション-トラブルのミクロ・ポリティクスという視点から-」という発表をおこなった。土屋はマイクロアグレッションが学校現場において解決されるべき「トラブル」として提示されるプロセスを分析するとどうじに、「ミクロ・ポリティクス」という理論枠組みが、トラブルとして同定される以前のマイクロアグレッションの分析について課題を有していることを指摘した。
       報告後の討議では、時間の制約もあり、十分な議論が尽くされたとは言えないものの、マイクロアグレッション研究における〈マイクロ〉性の位置づけをめぐって、議論がなされた。特に、マイクロアグレッションが害として同定されるに至るためにどのような段階があるかをめぐって、それぞれの理論的枠組みの比較がおこなわれた。

       「カルチュラル・タイフーン」での発表および討議を通じて、マイクロアグレッションという現象が、差別や抑圧、暴力についての研究の歴史のなかでどのような位置づけをもつかを明確にすることは必要な課題である、という見解が共有された。10月以降の活動では、特にこの点を課題として、議論をおこなっていくつもりである。