日時:2025年9月20日(土) 13:00〜17:00 場所:Zoom(オンライン) 参加人数:15名 プログラム: 1. 研究発表:”For Whom the Horn Blows? –‘Fantasy’ in Žižek and Pynchon (誰がために喇叭は鳴る──ジジェクとピンチョンにおける「幻想」を巡って)” 【発表者|吉松覚】 2. 研究発表:”Surplus and Subject: Zizek’s Critique of Karatani in light of The Capital. (剰余と主体:『資本論』とジジェクの柄谷批判 )”【発表者|高橋若木】
日時:2025年9月20日(土) 13:00〜17:00 場所:Zoom(オンライン) 参加人数:15名 プログラム: 1. 研究発表:”For Whom the Horn Blows? –‘Fantasy’ in Žižek and Pynchon (誰がために喇叭は鳴る──ジジェクとピンチョンにおける「幻想」を巡って)” 【発表者|吉松覚】 2. 研究発表:”Surplus and Subject: Zizek’s Critique of Karatani in light of The Capital. (剰余と主体:『資本論』とジジェクの柄谷批判 )”【発表者|高橋若木】
1. データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chap.4: Is It Still Possible to Be a Hegelian Today? ¶21-23【担当者|吉田尚史】 2. ジジェク研究会:”ラカンの「想定論理」、あるいは何においてジジェクのラカン主義を認めるか(第二稿)”【発表者|原和之】
5月の研究会では、Less Than Nothingを題材としたデータベース・ミーティングとInternational Journal of Žižek Studies誌論文投稿にむけての研究発表がなされた。
データベース・ミーティングでは、吉田尚史氏(大阪大学)の司会のもと、Less Than Nothingの第4章を読み進めた。論点としては主に、ジジェク思想の連続性が検討された。 ジジェクは博士論文をもとにした著作である『もっとも崇高なヒステリー者 ラカンと共にヘーゲルを』におけるヘーゲル解釈のなかで、「遡行的遂行性」(La performativité rétroactive)という概念を導入している。ジジェクによれば、ヘーゲルの弁証法によって与えられる規定性は実定的なものではなく象徴的なものであるが、そのような規定が存在することは、事後的に〈既にそうであった〉というかたちにおいてのみ明らかになる。 近年の主著と目されるLess than Nothingの該当箇所においても、ジジェクはヘーゲルにおける「和解」(reconcilation)概念を、ある対立や葛藤の解決を示す概念ではなく、〈そもそもそうした対立は無かった(が、そのことは事後的に知られる)〉ということを明らかにする概念であると解釈している。研究会ではこうしたジジェク思想の通時的な連続性が改めて確認されたうえで、Less Than Nothingの独自性について議論がなされた。 研究発表では、原和之氏(東京大学)が、ヘーゲル、ジジェク、およびディーター・ヘンリッヒのヘーゲル解釈を手掛かりに、ラカンのいわゆる〈欲望の弁証法〉の過程を、ヘーゲルの反省論理と同型のものとして分析した。ジジェクが注目するヘーゲル論理学の〈前提の措定〉というアイデアは、現象の前提にある本質が、現象の後に遡及的に発生することを表現したものだが、原はこうしたヘーゲルの議論を、(ラカン的な意味での)主体が、自らの存在の前提となる〈他者〉の欲望を遡及的に想定することに対応していると指摘した。 ただし原はラカンにおいては、更に要求との「対峙」という問題があり、この点はラカンがヘーゲルの反省論理を補完する点であると同時に、ジジェクがヘーゲルだけではなくラカンをも自らの理論として必要としている理由ではないかと指摘した。 議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。
データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chap.4: Is It Still Possible to Be a Hegelian Today? ¶19-21【担当者|三重野】
ジジェク研究会:高橋一行 “Does the Concept of “Less Than Nothing” of S. Žižek Come from Hegel’s Logic ?”【発表者|高橋一行(論文第一稿発表)】概要報告
4月の研究会では、Less Than Nothingを題材としたデータベース・ミーティングとInternational Journal of Žižek Studies誌論文投稿にむけての研究発表がなされた。
データベース・ミーティングでは、三重野清顕氏(東洋大学)の司会のもと、Less Than Nothingの第4章を読み進めた。論点としては主に、次の二点が検討された。 まず、ジジェクが繰り返し引用しているフランスのヘーゲル研究者、ジェラール・ルブランのヘーゲル解釈を検討し、ヘーゲル・ルブラン・ジジェクの三者の関係を整理した。 次に、ジジェクがヘーゲル(主義)とマルクス(主義)の関係についてどのような見解を持っているかが議論された。ジジェクは一般的なヘーゲル主義(〈矛盾なる二つの立場を強制的にまとめあげて一つのものにする〉)を絶えず批判し、〈矛盾の解決が既に起こっていることに気づくこと〉をヘーゲルの立場として提示する。その一方で、批判対象である一般的なヘーゲル主義やマルクス主義は紋切り型という印象が否めず、ジジェクがどのような意味で・どの程度ヘーゲルやマルクスの立場に近いと言えるかは議論の余地があることが確認された。
研究発表では、高橋一行氏(明治大学)から、ヘーゲル論理学をジジェクの「無以下の無」(less than nothing)を援用しつつ検討する発表がなされた。高橋氏によれば、ヘーゲルの存在論においては存在と無に先立つ「無以下の無」と呼べるものが機能しているが、ジジェクのヘーゲル解釈はこれを強調するものとして理解できる。高橋氏はジジェクを参照しつつもヒッグス粒子の理論や西田幾多郎の絶対無の概念、および日本のヘーゲル研究の歴史などを参照しながら、「無以下の無」を基とするヘーゲルの存在論を再構成した。
2025年5月19日(月)と20日(火)に大阪大学大学院人間科学研究科とオンラインのハイブリッドで研究会「Philosophy of Technology and Imagination」を開催しました。20日はニコラ・プリニョ先生(ベルギー・サン=リュック芸術高等学院、ブリュッセル自由大学)による特別講演会:The machinic ontogenesis: reflexions on the productivity and pragmatism of machines in Felix Guattari’s Chaosmosisも併催されました。研究会ではヨーロッパと大阪の研究者たちが技術と想像力をテーマに日欧のさまざまな哲学を参照しながら2日に渡って縦横無尽に論じました。