1. データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chap.4: Is It Still Possible to Be a Hegelian Today? ¶21-23【担当者|吉田尚史】 2. ジジェク研究会:”ラカンの「想定論理」、あるいは何においてジジェクのラカン主義を認めるか(第二稿)”【発表者|原和之】
5月の研究会では、Less Than Nothingを題材としたデータベース・ミーティングとInternational Journal of Žižek Studies誌論文投稿にむけての研究発表がなされた。
データベース・ミーティングでは、吉田尚史氏(大阪大学)の司会のもと、Less Than Nothingの第4章を読み進めた。論点としては主に、ジジェク思想の連続性が検討された。 ジジェクは博士論文をもとにした著作である『もっとも崇高なヒステリー者 ラカンと共にヘーゲルを』におけるヘーゲル解釈のなかで、「遡行的遂行性」(La performativité rétroactive)という概念を導入している。ジジェクによれば、ヘーゲルの弁証法によって与えられる規定性は実定的なものではなく象徴的なものであるが、そのような規定が存在することは、事後的に〈既にそうであった〉というかたちにおいてのみ明らかになる。 近年の主著と目されるLess than Nothingの該当箇所においても、ジジェクはヘーゲルにおける「和解」(reconcilation)概念を、ある対立や葛藤の解決を示す概念ではなく、〈そもそもそうした対立は無かった(が、そのことは事後的に知られる)〉ということを明らかにする概念であると解釈している。研究会ではこうしたジジェク思想の通時的な連続性が改めて確認されたうえで、Less Than Nothingの独自性について議論がなされた。 研究発表では、原和之氏(東京大学)が、ヘーゲル、ジジェク、およびディーター・ヘンリッヒのヘーゲル解釈を手掛かりに、ラカンのいわゆる〈欲望の弁証法〉の過程を、ヘーゲルの反省論理と同型のものとして分析した。ジジェクが注目するヘーゲル論理学の〈前提の措定〉というアイデアは、現象の前提にある本質が、現象の後に遡及的に発生することを表現したものだが、原はこうしたヘーゲルの議論を、(ラカン的な意味での)主体が、自らの存在の前提となる〈他者〉の欲望を遡及的に想定することに対応していると指摘した。 ただし原はラカンにおいては、更に要求との「対峙」という問題があり、この点はラカンがヘーゲルの反省論理を補完する点であると同時に、ジジェクがヘーゲルだけではなくラカンをも自らの理論として必要としている理由ではないかと指摘した。 議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。