『障害者の倫理』合評会
日時|2026年3月20日(金) 10:00〜12:40
場所| オンライン
文責|池田信虎(共生の人間学)
【合評会の詳細】
2026年3月20日(金)にオンライン(Zoom)にて開催された、北島加奈子氏の著書『障害者の倫理――フーコーからパラリンピックまで』(青土社)の合評会は、最大で47名の参加者を迎える盛況なイベントとなった。本書の理論的射程を多角的に検証すべく、異なる専門領域を持つ3名の評者が登壇し、著者を交えた活発な対話が繰り広げられた。
著者の北島加奈子氏による自著解題は、従来の障害学が障害者を「抑圧される受動的主体」として描き続けてきた現状に対し、ミシェル・フーコーの主体論を援用した新たな可能性を提示するものであった。北島氏は、感動ポルノに代表される「服従による主体化」を鋭く批判しつつ、キュニコス派的な「別の生」や「パレーシア」という概念に基づき、障害者が自律的に自己を変容させ、社会の規範に抗う「戦闘的な生」のあり方を描き出した。
田村海斗氏の発表は、本書における「受動性と自律」の対比に着目し、クィア・スタディーズの知見を交えつつその理論的妥当性を問うものであった。田村氏は、レオ・ベルサーニらの議論を参照しつつ、受動性を単に退けるべき劣位のものと見なすのではなく、その位置自体を再評価する視点を提示した。また、本書が依拠する古代ギリシアの倫理公準に潜む能動/受動の階層性を指摘し、フーコーにおける自律の可能性をより慎重に検討するよう迫った。田村氏の研究は、本書の理論的基盤に鋭い問いを投げかけつつ、より多層的な主体像を模索する意義深いものであった。
辰己一輝氏の発表は、本書の議論を「身体の物質性」という観点から拡張し、障害者の「霊性」の内実を掘り下げるものであった。辰己氏は、パラリンピックでのメダル投げつけ等の事例を「貨幣の価値転覆」というキュニコス派的モチーフと重ね合わせつつ、身体やモノを媒介としたパレーシアの可能性について問いを投げかけた。また、言語的発話を超えた「肉体言語」のような実践の可能性にも言及し、障害者の倫理を身体と物質の側から再考する視座を提示した。
池田信虎氏の発表は、本書をそれ自体が「パレーシアの書」であると位置づけ、障害の社会モデル史に対する系譜学的分析の意義を強調するものであった。池田氏は、北島氏の議論がオリバーらの社会モデルを再読解する過程で、これまで不可視化されてきた障害者の生や経験を別の角度から捉え直す可能性を示している点に着目した。
続く著者と評者とのディスカッションでは、受動性と自律の両立可能性や、個人的経験を政治化する際の困難など、多岐にわたる論点が交わされた。最後に、事前に寄せられた参加者からの質問への応答が行われ、本書の理論的意義と事例分析の射程について、著者・評者・参加者のあいだで理解を深める議論が交わされた。本合評会は、専門領域や大学の垣根を超えた対話を通じて、障害をめぐる新たな倫理の地平を展望する極めて刺激的な機会となった。



