「ヘーゲルと精神分析」シンポジウムを開催しました
6月11日(土)ラボ公式イベント「ヘーゲルと精神分析」シンポジウム(日本ヘーゲル学会共催)が開催されました。創価大学会場&Zoomのハイフレックス方式で開催されました。対面会場は、爽やかな初夏の気候の中、緑多い創価大学のキャンパスで行われました。一般参加申込者は160名超(日本ヘーゲル学会会員を除く)、当日Zoom参加者は最大時80名以上とたいへん盛況でした。多くのご参加をいただき誠にありがとうございました。
今回のシンポジウムは日本ヘーゲル学会と大阪大学未来共創センターとの連携により行われ、若手研究者を中心に学会外の研究者もお呼びして、広い視野からフロイト、ラカンらの精神分析とヘーゲル哲学との関係を考え、ヘーゲル哲学のアクチュアリティを問う機会となりました。
シンポジウムでは、最初に司会の野尻英一がプレゼンテーション「ヘーゲルと精神病理学/精神分析」を行い、本シンポジウムの基調をなす観点を提示しました。
次に提題1として、ヘーゲルの心理学や精神病理についての知見が含まれる「精神哲学」研究を専門とする池松辰男氏(島根大学)に「ヘーゲルにおける主体と言語—ラカン・デリダとの接点をめぐって 」をご発表いただきました。今日的観点からみてヘーゲル哲学のなかにフロイトやラカンの精神分析の視点とつながる部分があるかどうかをヘーゲル研究の立場から論じていただきました。特に『精神現象学』における言語の特異な働きが論点となりました。
提題2として、ラカン研究を専門とされ、精神分析の実践経験もあり、初期「超自我」概念を中心とするフロイト研究にも取り組んでいる片岡一竹氏(新ソルボンヌ大学)に「ラカンにとってヘーゲルとは何だったのか 《他者》としての言語と分裂としての人間」をご発表いただきました。ラカンとヘーゲル哲学との関係を論じていただきました。イポリットを経由して、コジェーヴ人間学に吸収されない、存在としての言語へと接近するヘーゲルおよびラカンの姿が浮き彫りとなりました。
提題3として、デリダ研究を専門とされ、特に初期デリダにおけるヘーゲル、フロイト、現象学の位置づけについて研究実績がある小川歩人氏(大阪大学)に「去勢のシミュラークルあるいは一般化されたフェティシズム‒ ‒‒‒デリダによるヘーゲル哲学と精神分析への関心について‒‒‒‒ 」をご発表いただきました。フロイトとヘーゲルの両者を現代的な視点から読み語るデリダの視点から「アフリカ」というキーワードを経由して、ヘーゲルにおける構想力/否定性の別の可能性を論じていただきました。
三者の発表から浮かび上がってきたのは、いわば〈精神病理学者〉として発生論/発達論の観点から精神の一般的構造を論じるヘーゲルと、またいわば〈精神分析家〉として対話による意識形態の動態的な変容を論じるヘーゲルと、二人のヘーゲルがいる事態でした。『精神現象学』と「エンチュクロペディー」体系とあいだに根本的な方法のちがいによる断絶が横たわるのではないかという指摘はヘーゲル研究においてもなされてきましたが、それが20世紀以降の精神分析の視点から、別の角度から照射されて浮かび上がってきました。
また今回、パネリスト間で調整したわけでもなく、ヘーゲル哲学のフランスへの紹介者であるジャン・イポリットのヘーゲル解釈(『論理と実存』『ヘーゲル精神現象学の生成と構造』)の重要性が共有され、さらには日本へーゲル学会会員からも同様の問題関心のあることが提示され、意見交換が活発に行われたことは大きな成果でした。