大阪大学
大阪大学大学院人間科学研究科 附属 未来共創センター
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第26回ジジェク研究会

日時:2025年9月20日(土) 13:00〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:15名
 プログラム:
1. 研究発表:”For Whom the Horn Blows? –‘Fantasy’ in Žižek and Pynchon
(誰がために喇叭は鳴る──ジジェクとピンチョンにおける「幻想」を巡って)”
【発表者|吉松覚】
2. 研究発表:”Surplus and Subject: Zizek’s Critique of Karatani in light of The Capital.
(剰余と主体:『資本論』とジジェクの柄谷批判 )”【発表者|高橋若木】

 第26回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
 第一発表の吉松発表では、トマス・ピンチョンの作品『競売ナンバー49の叫び』を、ジジェク的な問題意識から分析することで、同作品の倫理的・政治的意義を明らかにすることが試みられた。ジジェクは精神分析の幻想論の観点から、陰謀論者を単なる誤った認識を持つ者ではなく、人間精神の基礎的な要件である「幻想」をもった者として分析する。
 これに対して(吉松が解釈する)ピンチョンの小説において、主人公のエディパは、一方でこうした「幻想」に似た想定を有しつつも、それを所与のもの、不変のものとはせず、パラノイアックな探究を続けた。吉松はこうしたエディパの筆致をジジェクが論じる「幻想の横断」と比すことで、真理の探究を止めないことの倫理的・政治的意義を指摘した。
  吉松の発表は、ジジェクの枠組みを参照しつつも、それを絶対化せずにピンチョンの作品を精緻に分析することを通じて、ピンチョンの作品が有する現代的意義を引きだすものであった。
 第二発表の高橋発表は、ジジェクの思想における柄谷行人からの影響を主題とし、ジジェクの政治経済学の変遷を明らかにするものであった。高橋によれば、ジジェクは『イデオロギーの崇高な対象』(1989)以降、しばしばマルクス経済学における剰余価値論の解釈をおこない、独自の政治経済学を構想している。しかし21世紀に論じられたジジェクの政治経済学においては、日本の思想家・批評家である柄谷からの影響がみられる。高橋は柄谷の著書とジジェクの著書を比較分析し、両者の異同を明らかにすることを試みた。
 高橋の発表は、ジジェクと柄谷の関係を歴史的に跡づけると同時に、両者の理論的意義と限界を積極的に主張するものでもあった。
 議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
 研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

第26回ジジェク研究会

日時:2025年9月20日(土) 13:00〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:15名
 プログラム:
1. 研究発表:”For Whom the Horn Blows? –‘Fantasy’ in Žižek and Pynchon
(誰がために喇叭は鳴る──ジジェクとピンチョンにおける「幻想」を巡って)”
【発表者|吉松覚】
2. 研究発表:”Surplus and Subject: Zizek’s Critique of Karatani in light of The Capital.
(剰余と主体:『資本論』とジジェクの柄谷批判 )”【発表者|高橋若木】

 第26回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
 第一発表の吉松発表では、トマス・ピンチョンの作品『競売ナンバー49の叫び』を、ジジェク的な問題意識から分析することで、同作品の倫理的・政治的意義を明らかにすることが試みられた。ジジェクは精神分析の幻想論の観点から、陰謀論者を単なる誤った認識を持つ者ではなく、人間精神の基礎的な要件である「幻想」をもった者として分析する。
 これに対して(吉松が解釈する)ピンチョンの小説において、主人公のエディパは、一方でこうした「幻想」に似た想定を有しつつも、それを所与のもの、不変のものとはせず、パラノイアックな探究を続けた。吉松はこうしたエディパの筆致をジジェクが論じる「幻想の横断」と比すことで、真理の探究を止めないことの倫理的・政治的意義を指摘した。
  吉松の発表は、ジジェクの枠組みを参照しつつも、それを絶対化せずにピンチョンの作品を精緻に分析することを通じて、ピンチョンの作品が有する現代的意義を引きだすものであった。
 第二発表の高橋発表は、ジジェクの思想における柄谷行人からの影響を主題とし、ジジェクの政治経済学の変遷を明らかにするものであった。高橋によれば、ジジェクは『イデオロギーの崇高な対象』(1989)以降、しばしばマルクス経済学における剰余価値論の解釈をおこない、独自の政治経済学を構想している。しかし21世紀に論じられたジジェクの政治経済学においては、日本の思想家・批評家である柄谷からの影響がみられる。高橋は柄谷の著書とジジェクの著書を比較分析し、両者の異同を明らかにすることを試みた。
 高橋の発表は、ジジェクと柄谷の関係を歴史的に跡づけると同時に、両者の理論的意義と限界を積極的に主張するものでもあった。
 議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
 研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

共生の人間学セミナー・生活の思想研究会「花森安治の暮しの思想と商品テスト」


文責:織田和明(情報科学研究科 特任助教)
活動日:2025 年 9 月 11 日(木)
場所:大阪大学産学共創 C 棟 4 階セミナー室 1+オンライン
登壇者:
西川 晃弘(大阪大学)
共催:
大阪大学大学院人間科学研究科 共生学系 コミュニティ学講座 福祉と人間学分野
大阪大学大学院人間科学研究科附属未来共創センター IMPACT オープンプロジェクト 哲
学の実験オープンラボ
生活の思想研究会
イベント参加人数:会場 4 人、オンライン 2 人
2025 年 9 月 11 日(木)に、阪大学産学共創 C 棟 4 階セミナー室 1 とオンラインで、
共生の人間学セミナー・生活の思想研究会「花森安治の暮しの思想と商品テスト」を開催
しました。登壇者の西川晃弘さんは科学技術と社会の関係に注目して生活総合雑誌『暮し
の手帖』の初代編集長を務めた花森安治の思想を研究しています。大政翼賛会宣伝部に勤
務し、戦意高揚のための広告を作成した花森でしたが、戦後は人々の暮しのための雑誌を
出版し、戦争を防ぐことを主張し続けます。商品テスト等を通じて人間を軽視するものを
批判し、常に人々の暮しとともにある花森の実践は戦後日本に大きな足跡を残しました。
西川さんの非常に充実した研究発表とディスカッションを通じて生活の思想について大い
に思索を深める充実したセミナーとなりました。西川さんの今後の活躍にご期待くださ
い!

第25回ジジェク研究会

日時:2025年8月16日(土) 13:30〜17:00
 場所:Zoom(オンライン)
 参加人数:13名
 プログラム:
1. ジジェク研究会:”スラヴォイ・ジジェクと西田幾多郎のミッシング・リンク ――欲動論的転回をめぐって”【発表者|眞田航】
2. ジジェク研究会:”いかにしてジジェクはデリダを擁護するか”【発表者|小川歩人】

第25回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
第一発表の眞田発表では、ジジェクと日本の哲学者・西田幾多郎の二者における思想の変化をそれぞれ比較することで、両者の異同が検討された。眞田によれば、両者はいずれも思想上の〈転回〉と呼ばれるものを経ているが、その論理には一定の同型性が認められる。ただし両者の政治的態度は大きく異なっているため、ジジェクと西田の思想の分化がどこに認められるかが重要な研究課題となる。
質疑応答では、ジジェクと西田におけるヘーゲルやシェリングといったドイツ観念論の解釈の異同が注目され、時代や国が大きく異なる両者を比較研究することの重要性が確認された。
第二発表の小川発表では、ジジェクにおけるデリダ評価を分析対象とし、一見すると対照的に思われる両者の複雑な関係が整理・分析された。ジジェクはしばしばデリダに抗してラカンやヘーゲルの立場を打ち出しているようにみえるが、実際のところその関係は曖昧である。特に『絵画における真理』における額縁論は、それが換骨奪胎されてヘーゲル的な「対立的規定」概念解釈に用いられていると理解でき、ジジェクは相当程度デリダを意識して議論を組み立てていたと推測できる。
結論部では、近年のデリダ研究の動向も言及されつつ、デリダとジジェクの関係が、デリダ研究にもかかわるような多くの論点を提起しうるものであることが示された。
議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

第24回ジジェク研究会

日時:2025年7月19日(土) 13:00〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:17名
プログラム:
1. ジジェク研究会:”愛とおぞましいものの共同体──ジジェクにおける〈母〉の抑圧と女性の式”【発表者|佐藤愛】
2. ジジェク研究会:”見えないものを見る主体 東浩紀によるジジェク受容について”【発表者|客本敦成】

第24回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
第一発表の佐藤発表では、ジジェクのキリスト論を対象とし、ジジェクがラカン的な意味での「女性」としてキリストを位置づけていることが指摘された。佐藤は、ジジェクにおけるラカンの性別化の式の解釈において、フランスの思想家ジュリア・クリステヴァの「アブジェクト」概念からの影響がみられると指摘し、ジジェクのキリスト論が〈失われた対象との同一化〉を巡るものであると主張した。
佐藤の発表は、これまで十分に顧みられなかったジジェクとクリステヴァの関係を明らかにするものであると同時に、クリステヴァを援用することで、ジジェクにおける男性性と女性性の関係の曖昧さを批判的に捉え直すものでもあるといえる。
第二発表の客本発表では、1990年代におけるジジェクのサイバースペース論を対象とし、ジジェクのサイバースペース論が日本の批評家の東浩紀のサイバースペース論に積極的な影響を与えていることを指摘した。ジジェクと東は、いわゆる「ポストモダン」的な歴史状況を認識しつつも、単に複数に分裂する主体ではない主体像を提示するという点で、共通点があった。
客本の発表は、日本におけるジジェク受容の一端を示すものであったほか、質疑応答では、ジジェクのサイバースペース論の独自性を理解するうえでも1990年代の論考は重要であるという指摘もなされた。
議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
研究代表者・野尻英一
 文責|客本敦成(比較文明学)

第23回ジジェク研究会

日時:2025年6月21日(土) 13:00〜17:00
 場所:Zoom(オンライン)
 参加人数:18名
プログラム:
1. ジジェク研究会:”コジェーヴの「ヘーゲルとフロイト」からセミネール第14巻、第15巻へ”【発表者|信友建志】
2. ジジェク研究会:”日本的国民主義のイデオロギーの図化の試み”【発表者|ドリンシェク・サショ】

 6月のジジェク研究会では、研究発表を二件行った。
第一発表の信友発表では、近年公表されたコジェーヴのデカルト論を分析対象とし、コジェーヴのデカルト解釈とラカンのデカルト解釈の比較を行うことで、セミネール14巻および15巻におけるラカンの議論の内にコジェーヴの影響があることが指摘された。
信友は、コジェーヴがヘーゲルに言及しつつ〈哲学者の欲望〉という概念を提示していることに注目し、哲学者の欲望における〈存在のディスクール〉と〈思惟のディスクール〉の交錯が哲学を駆動しているというコジェーヴの議論が、ラカンのディスクール論における分析家の欲望に先行し影響を与えた議論として位置づけられると主張した。
議論では、コジェーヴのヘーゲル解釈としての妥当性や独自性にも言及されつつ、ラカンとヘーゲルのミッシング・リンクを議論するためにはコジェーヴの位置づけが重要であることが、改めて確認された。
第二発表のドリンシェク発表では、ジジェクの〈盗まれた享楽〉概念が援用され、日本文化がイデオロギーとして分析されうることが示された。
ドリンシェクは、「日本文化」が実体のない曖昧な概念である一方で、「日本文化論」という名前において展開される議論において、しばしば日本という国家の統一性を説明するための概念として用いられることを指摘した。ドリンシェクによれば、こうした統一性は、共同体の内に絶対的に存在する矛盾や対立を隠すことによって成立する。そのうえ、そうした矛盾を明らかにしようとする存在は恐怖の対象として排除されることになる。
結論においては、こうした構造は権力機構による享楽の統制によってもたらされるため、より開放的なしかたで享楽を考えることが、現在の課題を解決するうえで重要であると述べられた。
議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」研究代表者・野尻英一
文責|客本敦成(比較文明学)

第22回ジジェク研究会

日時:2025年5月24日(土) 13:00〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:15名

プログラム

1.    データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chap.4: Is It Still Possible to Be a Hegelian Today? ¶21-23【担当者|吉田尚史】
2.    ジジェク研究会:”ラカンの「想定論理」、あるいは何においてジジェクのラカン主義を認めるか(第二稿)”【発表者|原和之】

5月の研究会では、Less Than Nothingを題材としたデータベース・ミーティングとInternational Journal of Žižek Studies誌論文投稿にむけての研究発表がなされた。

データベース・ミーティングでは、吉田尚史氏(大阪大学)の司会のもと、Less Than Nothingの第4章を読み進めた。論点としては主に、ジジェク思想の連続性が検討された。
ジジェクは博士論文をもとにした著作である『もっとも崇高なヒステリー者 ラカンと共にヘーゲルを』におけるヘーゲル解釈のなかで、「遡行的遂行性」(La performativité rétroactive)という概念を導入している。ジジェクによれば、ヘーゲルの弁証法によって与えられる規定性は実定的なものではなく象徴的なものであるが、そのような規定が存在することは、事後的に〈既にそうであった〉というかたちにおいてのみ明らかになる。
近年の主著と目されるLess than Nothingの該当箇所においても、ジジェクはヘーゲルにおける「和解」(reconcilation)概念を、ある対立や葛藤の解決を示す概念ではなく、〈そもそもそうした対立は無かった(が、そのことは事後的に知られる)〉ということを明らかにする概念であると解釈している。研究会ではこうしたジジェク思想の通時的な連続性が改めて確認されたうえで、Less Than Nothingの独自性について議論がなされた。
研究発表では、原和之氏(東京大学)が、ヘーゲル、ジジェク、およびディーター・ヘンリッヒのヘーゲル解釈を手掛かりに、ラカンのいわゆる〈欲望の弁証法〉の過程を、ヘーゲルの反省論理と同型のものとして分析した。ジジェクが注目するヘーゲル論理学の〈前提の措定〉というアイデアは、現象の前提にある本質が、現象の後に遡及的に発生することを表現したものだが、原はこうしたヘーゲルの議論を、(ラカン的な意味での)主体が、自らの存在の前提となる〈他者〉の欲望を遡及的に想定することに対応していると指摘した。
ただし原はラカンにおいては、更に要求との「対峙」という問題があり、この点はラカンがヘーゲルの反省論理を補完する点であると同時に、ジジェクがヘーゲルだけではなくラカンをも自らの理論として必要としている理由ではないかと指摘した。
議論や実施内容の詳細は添付資料を参照のこと。

※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」研究代表者・野尻英一