大阪大学
大阪大学大学院人間科学研究科 附属 未来共創センター
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防災の哲学研究会

活動日|2026年4月22日(水)、5月7日(木)、5月20日(水)

記録|米田沙由葵(比較文明学)

2026年4月から5月まで、下記の活動を行った。

【第1回】

『人新世の哲学―思弁的実在論以後の「人間の条件」』序論および第1章を読んだ。メイヤスーの思弁的実在論や人新世概念を手がかりに、人間の認識とは独立した世界の存在について議論した。また、人間世界が自然から切り離された自律的な領域ではなく、自然との関係のなかで成立していることについて検討した。

【第2回】

第2章を読み、議論した。アーレントの「事物の世界」や「世界疎外」の概念を中心に、人間の生活を支える人工的世界と自然との関係について議論した。人新世において人間が「地質学的行為者」となっているというチャクラバルティの議論についても検討し、人間と自然を分離して捉える近代的な世界観の限界について考察した。

【第3回】

第3章を読み、議論した。東日本大震災を契機として論じられる「世界の脆さ」や「根なし草化」の問題を中心に検討した。アーレントの世界概念やモートンのエコロジー論を参照しながら、人間が世界に居場所を持つことの意味や、人新世における人間の条件について議論した。

活動日|2026年6月3日(水)

記録|米田沙由葵(比較文明学)

今回は『人新世の哲学―思弁的実在論以後の「人間の条件」』第4章「エコロジカルなもののリアリティとは何か」を読み、議論した。

本章では、人新世における「エコロジカルなもののリアリティ」が主題として扱われていた。篠原は、気候変動や環境問題のような現象について、客観的なデータが示す現実像と私たちの日常的な実感とのあいだに深い溝が存在すると指摘している。人間は現在、地球環境を変化させる「地質学的行為者」となっているが、その影響は人間の日常的な経験の尺度を超えており、データとして理解できても生活のリアリティとして把握することは容易ではない。

また、ティモシー・モートンやマヌエル・デランダの議論を通じて、人間の認識や意味づけから独立した事物のリアリティについて検討した。特に、モートンが論じる「事物の脆さ」の概念は、人間が構築した世界の安定性を問い直し、人間中心的な世界観を再考する契機として位置づけられていた。

議論では、デランダのリアリズムにおいて自然物と人工物をどこまで同じ枠組みで論じることができるのかという問題が提起された。また、モートンの「盲目的」という表現についても議論が行われた。環境問題について十分な知識やデータが存在する現代社会においても、人々は気候変動や環境変化を生活のリアリティとして感じることが難しい。このことから、問題は単なる無知ではなく、人間の日常的な時間感覚と地質学的な時間尺度との断絶にあるのではないかという意見が出された。

今回の研究会を通じて、人新世の問題は単なる環境問題ではなく、人間がどのように現実を認識し、世界との関係を理解するのかという認識論的・存在論的な問題でもあることを学んだ。