美的近代研究プロジェクト 第一回読書会報告
2021年12月12日に実施された、哲学の実験オープンラボの公認プロジェクトの読書会です。以下は参加された学生の報告です。
文責:安藤歴(共生学系・共生の人間学)
12月12日(日)
美的近代研究会メンバー8人参加
この研究プロジェクトは、大阪大学内外からの参加者と共同で美的近代の問題系についての文献を読んだり、研究発表を行っていきます。特にシラーの提唱した「美的革命」を一つのテーマとして取り上げつつ、独・仏・英語圏でのその思想的影響に着目した研究を進めます。今後は、講師を呼んで公開での研究会を開催したり、学会等でのワークショップを企画する予定です。
この研究プロジェクトが正式に発足する以前の9月から、すでにメンバーに声をかけて準備を始めており、フランスの哲学者アラン・バディウ(1937-)の論考「詩人たちの時代」についての発表や同じくフランスの哲学者ジャック・ランシエール(1940-)の著作『感性的なもののパルタージュ』(2000)の読書会を行ってきました。その流れで、今回はジャン・フランソワ・リオタール(1924-1998)の著作『非人間的なもの』(1988)所収の「崇高と前衛」について議論しました。この論考は、「自然の模倣」という西欧の伝統的な芸術観が変容した後に表象不可能なものの否定的な現前を問題化したという点で、アヴァンギャルド芸術の淵源をカントやバークの崇高論に見出しており、思想・哲学にとってだけでなく、現代芸術の文脈においても極めて重要なものです。
読書会では、リオタールの崇高概念の内実、彼が強調する時間性・歴史性、リオタールのユダヤ教的時間意識、ハイデガーの出来事論との関係、アドルノ美学との関連、カント『判断力批判』における崇高論と共通感覚論との関係、崇高の美学の政治的論争性などが話題に上りました。リオタールにとって崇高は、近代性を特徴づける芸術的感受性の様式です。つまり、近代における美的な感受性は、「告げられつつ欠如する」未決定なものに対する感情を特徴としているというのです。リオタールにとって崇高の美学が問題にするのは、こうした表象不可能なものの否定的な現前です。ただし、リオタールにとっての崇高のイメージは、単に膨大であったり、壮大であったりするものではなく、むしろ微細で極限まで切り詰められたものにあります。極限まで窮乏した表象の中に、表象できない否定的なものが宿っているということです。さらに、リオタールは、「民族」「総統」「ジークフリート」の到来に期待することで、その否定的な現前を神話的な主体形象へと転換させることへ注意を促し、むしろ「今」という瞬間に留まり、否定的な現前の証人となり、それを待ちわびることを提起します。
今回の読書会では、リオタールの崇高論を通じて現代フランス思想における「美的モデルネ」解釈の一類型を把握することができました。次回は1月30日19時からオンライン上にて行います。扱う文献は、ユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』に所収されている「近代未完のプロジェクト」という講演録です。ハーバーマスによる美的モデルネ批判について議論をします。