大阪大学
大阪大学大学院人間科学研究科 附属 未来共創センター
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第12回ジジェク研究会

日時:2024年6月15日(土) 13:30〜17:50
場所:zoomミーティング
参加人数:17名

プログラム
データベース・ミーティング:Less Than Nothing, Chap.4: Is It Still Possible to Be a Hegelian Today? よりHegel versus Nietzsche 節(pp.195-196/¶7-11)
発表(小川歩人(大阪大学)):「不可能なものとは別の仕方でとは別の仕方で… 」——日本におけるデリダ、ラカン、ジジェク受容」

概要報告
データベース・ミーティング
データベース・ミーティングにおいては、今回も引き続きLess Than Nothing, Chap.4: Is It Still Possible to Be a Hegelian Today? のHegel versus Nietzsche 節が扱われた。
ヘーゲル以後の論者が無視していたものこそ重要なのだ、という論(前回の範囲)を背景に、フランスの哲学者Gérard Lebrunによる「ニーチェ」的なヘーゲル読解(L’envers de la dialectique)を補助線として議論が展開される。否定性の捉え方で、いわゆるヘーゲル的な見方とニーチェ的な見方が対比される。すなわちヘーゲルにおいては否定性という過剰なるものは結局、総体性、肯定的な全体の契機に回収されてしまうのに対して、ニーチェからすればそこには否定性それ自体に対する肯定的な眼差しが欠けている。とはいえこれは「いわゆる」見方であり、次節”STRUGGLE AND RECONCILIATION”で展開されるジジェク自身の論を検討していきたい。
各所への具体的なコメントについては本ページに添付の資料を確認のこと。
来月はLess Than Nothingより、Chapter 8: Lacan as a Reader of Hegelを扱う。

研究発表(ジジェク研究会)
後半の研究発表では、フランスの哲学者ジャック・デリダを専門とする大阪大学特任講師の小川歩人氏によって、一般に対立するとみなされるデリダとフランスの精神分析家ジャック・ラカン、そしてその受容者たち(ジジェクと日本の批評家・哲学者東浩紀)とにある種の共通点がある旨、複雑な関係をほぐしながら整理する発表がなされた。
デリダは一般に、ラカンの精神分析理論を批判していると理解されている。しかし小川氏は、批判ののちにデリダが示す論理(「郵便空間の論理」)がむしろ、ラカン自身が後期に提唱する〈性別化の式〉における「女性の式」と重なるところがあるとする。この重なりと隔たりに関して、日本での事情としては、日本におけるジジェク受容とデリダ派(日本の批評家・哲学者東浩紀)との関係もまた絡むこととなる。すなわち東はラカン派のジジェクを批判するが、むしろ両者にある種の共通性があると小川氏は指摘する。このような複雑かつ相互的な関係を整理する発表であった。
以上
文責:丸山由晴(比較文明学・M3)