大阪大学
大阪大学大学院人間科学研究科 附属 未来共創センター
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人+文 哲学研究発表会

2025年12月20日(土)に開催された哲学の実験グループオープンラボ公認イベント「人+文 哲学研究発表会」は、総勢14名(発表者6名)が参加した大盛況のイベントとなった。当初、人間科学研究科と人文学研究科の交流を目指して開かれたこの研究発表会は、結果として学部生や他大学の大学院生までを巻き込んだ大規模なものとなった。各発表者の研究内容も多様であり、幅広い主題について、専門領域や出身大学の垣根を超えた対話を行う機会を提供することが出来た。
 藤山諒子(大阪大学人間科学研究科)氏の発表は、文化人類学者の松田素二および小田亮の議論を踏まえつつ、文化相対主義の限界点として立ち現れる異文化との「共役不可能性」について、理論的に探求するものであった。藤山氏はこの共役不可能性の正体を未規定な社会的状況において生じる「関係の両義性」に見出しつつ、それを〈共に〉引き受ける態度を、多文化との共生を可能にする理論的源泉として提示した。藤山氏の研究は他者との共生の困難さを見据えつつも、それを内在的に乗り越える理路を示唆した、意義深いものであった。
 葛西李成(大阪大学人間科学研究科)氏の発表は、イマニュエル・カントの『判断力批判』崇高論の読解を基礎に、カント美学と『純粋理性批判』および『実践理性批判』との接続可能性を提示するものであった。葛西氏は『純粋理性批判』超越論的感性論における無限性の議論に理性理念の潜在的な作動を読み解きつつ、理性の無限性が現前する瞬間として『判断力批判』崇高論を再解釈し、実践哲学との接続の理路を示した。葛西氏の研究は、カント批判哲学における無限性の主題の展開を描き出しつつ、『判断力批判』の再解釈を迫る意欲的なものであった。
 若松黎奈(京都大学法学研究科)氏の発表は、アメリカの政治理論家ジュディス・シュクラーの議論を踏まえつつ、現代におけるリベラリズムのあるべき姿について問うものであった。若松氏はシュクラーの一連の著作において提示される「冷戦リベラリズム」概念に基づき、リベラルな諸価値を権威主義的に説き続けるだけの旧来のリベラリズムを批判しつつ、政治的自由の確保のための制度的・実践的介入にリベラリズムの新たな役割を見出した。若松氏の研究は、リベラルな諸価値がその政治的有効性を失いつつあるように思える昨今の国際的な状況を、政治理論の視点から問い直すアクチュアルなものであった。
 高橋菜穂氏(大阪大学人間科学研究科)の発表は、現代物理学の知見によってその立ち位置が揺らいでいる「因果性」の概念について、エルンスト・カッシーラーの議論を参照しつつ再定義を行うものであった。高橋氏によれば量子論における不確定性原理は、因果性と連続性を結びつけて捉えていた古典力学の前提を全面的に問い直すものであり、時間的連鎖ではなく構造的対応関係に結びついた新たな因果性概念を要請する。高橋氏の研究はカッシーラーの議論を現代の量子力学の哲学の文脈で読み解くと同時に、近代認識論の全般的な書き換えの可能性までも視野に入れた重要なものであった。
 萩原一馬氏(大阪大学人文学研究科)の発表は、ハンナ・アーレントの人権論の鍵概念である〈諸権利を持つ権利〉を保証するものとして、これまでの研究では見過ごされてきたアーレントの連邦論に光を当てるものであった。萩原氏はアーレントの著作の丹念な読解に基づきつつ、国家の領域を超えた人類規模での合意に基づく国際法の領域に、〈諸権利を持つ権利〉の具体的保証を見出す。萩原氏の研究はアーレント解釈に新たに法哲学的展開をもたらす斬新なものであるだけでなく、諸国家を超えた共同体の形成というますます切実となりつつある政治的課題への理論的示唆を与えるものでもあった。
 山本泰地氏(大阪大学人間科学部)の発表は、ジュディス・バトラーの読解に基づきつつキャロル・ギリガンらの「ケアの倫理」を批判するものであった。山本氏はバトラーの立場から、ケアする者/ケアされる者あるいは女/男という固定的なアイデンティティを形成してしまう危うさを含んだギリガンらの議論を批判しつつ、絶えざる異議申し立てと主体の脱構築の契機を内包した倫理的・政治的主体の理論的可能性を示した。山本氏の研究は「ケアの倫理」が人口に膾炙して久しい現代の言論空間に対し、その批判的乗り越えと新たな可能性を突きつける、野心的かつ説得的なものであった。