第27回ジジェク研究会
日時:2025年10月18日(土) 13:30〜17:00
場所:Zoom(オンライン)
参加人数:13名1. ジジェク研究会:”フェティッシュから異物へ ジジェクにおける対象aの地位の変遷”
【発表者|片岡一竹】
2. ジジェク研究会:”革命か和解か?——ジジェクにおける否定性と無限判断の行方(仮)
Revolution or Reconciliation? The Fate of Negativity and Infinite Judgment in Žižek (tentative)”
【発表者|野尻英一】第27回ジジェク研究会では、研究発表を二件おこなった。
第一発表の片岡発表では、スラヴォイ・ジジェクが用いる「対象a」概念の変遷が検討された。「対象a」は、もともと精神分析家のジャック・ラカンが用いた概念であるが、ジジェクはこれを独自の仕方で受容し、自分の議論に取り込んでいる。
まず、(50年代の)ラカンに関する基本的な見方によれば、対象aとは、ファルスの欠如を想像的な仕方で示す対象である。対象aは不在の対象として定義されるが、対象aが不在であることは、人間主体が有する根本的な欠如がそこにおいて示されていることを表している。それゆえラカンとジジェクにおいて、対象aは、その空虚さが暴かれることによって主体の真理が明らかにされるフェティッシュとして位置づけられる。
ただし60年代においてラカンはこうした欠如を示すものとしての対象aという定義から離れ、むしろ欲望の原因として、ファルスから独立した位置づけを与えられるようになる。こうした定義にあっては、対象aは単に乗り越えられるべき障害ではなく、むしろそれを求めることが主体に秩序の転覆をもたらすものとして位置づけられる。ジジェクは対象aのこうした側面もラカンから受容し、対象aを求める主体に政治的革命の可能性を見出している。
片岡の発表は、ラカン研究の立場から対象a概念の整理をおこなったうえで、ジジェクがそこからどのような政治的含意を引きだしているかということを示すものであった。論の運びは明晰であり、質疑応答でも片岡発表を踏まえたうえでの発展的な議論が交わされた。
第二発表の野尻発表は、主に『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』におけるジジェク・バトラー・ラクラウの論争を踏まえたうえでジジェクの肯定的な側面を評価し、現実の政治・倫理的課題に対してジジェク哲学が持ちうる点を主張するというものであった。
野尻によれば、ジジェク・バトラー・ラクラウの三者において問題となっているのは「歴史性」の問題である。一方でマルクス主義の単純な唯物史観を退けつつ、他方で単なる歴史に対する不可知論を回避するために、三者は主にヘーゲル哲学を出発点としつつ、論争を展開している。
そのなかでジジェクは、バトラーやラクラウが主張する、永続的なヘゲモニー闘争および脱構築を続けるという「カント主義」を批判し、「汚染された普遍性」というアイデアを導入することで、ヘゲモニー闘争という枠組みそのものを規定するものとして階級闘争を位置づけようとする。
野尻はこうしたジジェクの「歴史化」のこころみを評価する一方で、ジジェクが主にラカンの「現実界」概念に依拠するために、表象や想像力の役割を十分に考察していないことを批判する。そこで野尻はスピヴァクの植民地主義についての考察などを参照しつつジジェクの議論を修正し、より説得的な歴史理論を提案することを試みた。
野尻の発表は、「弁証法的唯物論者」を自認するジジェクの唯物論(歴史哲学)としての立場を積極的に評価したうえでその限界と課題を指摘するものであった。質疑では、ジジェクの立場にかんするより踏み込んだ議論がなされ、歴史と享楽の関係の考察の必要性が指摘された。※科学研究費基盤B(23H00573)「スラヴォイ・ジジェク思想基盤の解明:ヘーゲル、ラカン解釈を中心に」
研究代表者・野尻英一
文責|客本敦成(比較文明学)
